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2018年8月24日 (金)

今後の国内サッカーはどうなる

今回は今後の国内サッカーについてお伝えしたいと思います。

まず少しサッカーから離れる話になりますが...

何となく最近の日本は、中小企業が減り、大企業の波にのまれてしまっているように感じます。

飲食店やサービス業などあげたらキリがありませんが、良いサービスを提供してくれるところを好んで人は利用します。

確かに便利で身近でマニュアル化されたシステムは安心します。

でも逆に言うと、いつも同じモノ、同じ生活、同じマニュアル化された対応に悲しさを感じることがあります。

これはサッカーにおいても言えます。

少し大きな都市になると、サッカーの大企業がお金を投資して新たな活動を展開していきます。

プロ選手とのタイアップであったり、メソッドのマニュアル化だったりと確かにそれなりの成果もあって良いと思います。

でもこんなのを喜ぶのは一部の人だけです。

結局、どこに行ってもエリートの枠に入れる人だけが得をし、そしてその集団の中で輝くことができます。

私はそういうシステムがあまり好きではありません。

当然、小中学時代からトレセンのような活動がありましたし、周りが呼ばれたり選抜の練習に参加したりしているのを横目で見ていて、「なんだよそれ...」と悔しくなる気持ちが強かったです。

こういうことが続くと、やはり自分には力がなく、周りに認めてもらえるようなプレーができていないのだなと認識し、次第にサッカーというものが嫌になっていきます。

仕事も同じですよね。

どこで誰に評価されて昇進していくのか?

ただ売り上げだとか統率力だとか単純な見た目だけで評価されてしまうこの世の中...

私たちは何を信じて生きていけば良いのでしょうか。

ならばそんな世界で生きていくのはさっさと辞めてしまえと、私の場合は自らその場を立ち去りました。

そこで失ったものの方が大きいと思う方もいるかもしれませんが、それはネガティブな思考であって、逆に得られるものも意外に多いです。

当然どこにもマニュアル化されたものは存在しますが、「その中で個人が輝くためにはどのようにすれば良いのか?」という知恵が身につきます。

当オンラインサッカースクールで世界共通の技術や技能を学んでも、結局はマニュアル化されたサッカーに苦労してしまうというお子さんが結構います。

これは活動する場所の選択や国内のマニュアル化されたシステムがそうさせているのであって、技術や技能が問題ではありません。

つまり日本社会のシステム自体が、個人が輝ける場を無くしている状況だとも言えます。

「皆と平等で同じレベルの指導が受けられる」

とは言うものの、結局その指導に上手く対応できた子だけが上へ上へと進むことができます。

つまり能力差による差別化ですね。

これを中小企業が取り入れると中身の組織が壊れます。

例えば、これまで安心して何事もなく平和に仕事をしていたところに、明日からエリート社員が上司として着任し、色々と指図を受けることになったらどうでしょうか?

やりにくいですよね?

そしてノルマだ何だと迫られたら今までの生活が嘘のように変わってしまいます。

だから私は会社の中の歯車になるのが嫌になりました。

数字でしか評価されない、そしてそれに対応できた人はさっさと昇進していく。

結局そのシステムに上手く対応できた者勝ちみたいな制度が本当に嫌です。

たぶんサッカーでも多いと思いますよ。

権力のある人のお子さんが試合でたくさん出場して、その他はベンチを温めるとか。

だいたいそうした人たちは1つのグループを形成しますので、そのグループに入れないと何かと面倒なことが起きます。

当然そうしたグループは、どこどこのスクールで一緒に活動もしていて、食事や遊びにいくのも一緒。

サッカーに対する情報共有がしっかりしています。

なので不思議とそういう仲間同士の親子がトレセンに選ばれるなんてことも多いです。

これって何なのでしょうかね?

ある人の情報では、高校時代にそういったことでレギュラーを決めていたなんて話も耳にします。

どんなに能力が無くても、高いレベルで起用し続ければそれなりの能力が身につきます。

これも人間の適応力なのでしょうが...

芸能人やプロ選手の二世たちは、こうした良い環境やレベルで生活できるという原理から上手く上へ上へと引き上げられていきます。

それを見て我々は「さすが○○○の息子だな」と感心します。

そういう選手たちは良い環境で育ったこともあるのか、とても判断力に優れていて、技術や技能というよりも場数をこなして堂々としているという印象の方が強いです。

消極的な親子は、そういう場面に出向くことも少なく、当然そうしたグループの中に入るのを知らず知らずのうちに拒みます。

そうしていくうちに、マニュアル化されたシステムにのみこまれ、いつの間にか蚊帳の外といった状況になります。

誰もが楽しめてサッカーが上達できて、そして誰もがコートで輝けるシステムになる日が本当に訪れるのでしょうか...

このエリートシステム(補欠制度)が崩壊しない限り、変化していくのは難しいというのが現状のような気がします。

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